「・・・あとえもん?」

 

    テニスウェアに着替える手が完全に止まってしまった長太郎に、レンズの奥で笑いながら。

    侑士は靴紐をきゅっと絞った。

    「何や、鳳知らんかったんか?

     何でも持ってるとことか、何でも出来る所からついたんやろな。

     ウチの学年では有名なあだ名やで」

    「そうそう。あいつならさ、

     『♪ 空を自由に飛びたいな ♪

     ほらよ、ヘリコプターだぜ! 』

     とか言いそうじゃん!」

    岳人の歌に長太郎が噴き出すと、ベンチで寝ていた滋郎もいつの間にかその輪に加わっていて。

    笑いすぎて顔を赤くした長太郎にとどめの一言を刺した。

    「いつもアンアンアンアン言ってるしな!

     『♪アーンアーンアーン

       とっても大好き あとえもん ♪ 』 」

 

    不意に大爆笑の渦の中、部室のドアが静かに開かれて。

    「随分と楽しそうじゃねぇか」

    特徴のありすぎる声に4人が振り向けば。

    21世紀のネコ型ロボットに例えられた本人が、ラケットにボールを構えて青筋を立てていて。  

  

    「お前等、なかなか集合しねぇから来てみれば。

     よほど破滅への輪舞曲を踊りてぇらしいな」

 

    「ゲッ、跡部!!」

    「今日の練習は覚悟しろよ、アーン?」

 

    タケコプターがあったら付けて空へと逃げたい―――

    そんな願いも虚しく。

    最近類を見ないほどの地獄メニューに、4人は『口は災いの元』という言葉を体感しながら。

    『あとえもん』をタブーリストに載せる事を誓った。

 

 

 

                 
 『21世紀の恋人』

 

 

 

    「ったく。

     誰が『あとえもん』だ。冗談じゃねぇ」

    

    帰りの車の中で不機嫌に足を組んだ景吾に、は小さな笑い声を零す。

    「いいじゃない、あたしドラえもん好きよ」

    「まで―――俺様をあんなネコ型ロボットと一緒にするんじゃねぇよ」

    その呟きは、の小さな咳に遮られて。

    ふと、左手を瞳の前に翳せば。

    車内の遠慮がちな明かりの中、景吾の前にの異変が鮮やかに映し出される。

  

    「おい、―――」

    普段の薔薇色よりも赤く染まった頬に、熱で潤んだ瞳。

    いつもよりも数段弱々しいソプラノ。

    間違いない、これは―――

   

    「熱あるんじゃねぇのか?」

    「そんな事、ないよ」

    顔を隠すように俯いたを強引に抱き寄せて。

    景吾は大きな手をの額に充てるなり、その熱さに驚いて運転手に叫んだ。

  

    「全速力で屋敷に向かってくれ!」

    それから景吾自身は携帯で執事を呼び出して。

    主治医を呼び寄せておくように指示を入れる。

 

    「・・・ったく、具合が悪いなら何で先に帰らなかったんだ!

     こんな体調で俺様の部活が終わるのなんざ待ってる場合じゃ―――

     ?―――!!」

    腕の中で意識を手放してしまったをそっと抱き留めて。

    いつもより数段熱い恋人の体温に、景吾はなすすべもなく小さく舌打ちをした。

 

 

    「坊ちゃま」

    が眠るベッドサイドに腰掛けて、苦しそうな表情のを見つめていた景吾は。

    執事の何度目かの呼びかけでようやく気がついた。

    「坊ちゃま―――坊ちゃまも御加減を悪くなされましたか?」

    「いや、俺は何でもねぇ」

    珍しい程に動揺した景吾に内心驚きながら、執事は任務完了の報告を続ける。

 

    「様のご実家に連絡を差し上げました。

     お身体の具合と、今夜は様をこちらでお預かりする旨を申し上げましたら

     お母様が坊ちゃまに御礼をお伝えするようにと仰っていましたよ」

    「・・・そうか」

    「薬を飲んで、お身体も少し落ち着かれたご様子です。

     景吾様も、お部屋で少しおくつろぎになられては―――」

    「・・・ああ―――」

    「どうか、なさいましたか?」

    「いや」

 

    執事の言葉に上の空で応えを返しながら。

    景吾は苦しそうな表情を浮かべたの熱い指先をそっと握り締めた。

 

    ―――案外忍足たちの言うとおり、ドラえもんに似てるのかも知れねぇな―――

 

    車やセスナ、船―――何を使ってでも迎えに行ってやるし。

    風邪を引いたら医者も薬もベッドも。 

    何だって用意してやる。

    きっと、に必要なものは何でも差し出してやれる。

    

    けれど。

 

    「俺自身は、に何がしてやれる?」

 

    役に立つのは、ドラえもん自身ではなく四次元ポケット。

    そんな、ネコ型ロボットと同じように。

    今役に立っているのは、自分が与えた道具だけ。

    自分自身の手は何一つ、を支えてやれていない気がして。

    ひどく、もどかしい。    

 

    「けい・・・ご」

    ふと、小さな声がベッドから自分を呼ぶのが聴こえて。

    景吾は握り締めたの指を自分の手の中に引き寄せて、ぎゅっと包み込んだ。

    「ああ、ここに居るぜ」

    

    氷帝学園の生徒にとって、跡部グループのすべての人間にとって。

    例えば自分が『ドラえもん』のような存在でも、構わないと思っていた。

    役立つ道具を次々に差し出す、便利と言う意味で有能な人間だと思われても。

    例え望まれているものが自分自身ではなくて自分の持つ道具や地位だったとしても。

    それで良いと思っていた。

 

    けれど。

    世界中でたった一人、にだけは。

    差し出す道具ではなくて、4次元ポケットではなくて。

    自分自身が、跡部景吾そのものが。

    必要なのだと、そう思って欲しいから。

 

    金でも、家の力でもない跡部景吾の力で。

    に何か、してやりたい―――    

 

    初めて胸の中に湧き上がるその感情に、戸惑いながらも。

    景吾はの指先を優しく握り直すと、意を決したように顔を上げた。    

 

    「おい、水とタオルを持って来い―――いや、俺が取りに行く。

     タオルの場所を教えてくれ」

    「・・・坊ちゃま?」

 

    それから、景吾は執事に振り返って。

    輝きを放つサファイアのような瞳で続けた。

 

 

    「の看病は俺様がやる」

 

 

    「―――坊ちゃま、様と巡り逢われてようございました」

    執事は、初めて聴く景吾の言葉に目頭を熱くして。

    それから優しげな瞳を細めると、景吾に一礼して続けた。

    「タオルは2階に、桶はバスルームにございます。氷水で浸して額に乗せて差し上げてください。

     氷は私がただ今持ってまいります」

    「ああ、わかった」

 

    2階へと足を走らせる未来の跡部グループ総裁の後姿を見送りながら。

    「旦那様―――景吾様は人の上に立つのに必要な想いを、何時の間にか見つけていらっしゃいます。

     様と巡り逢われてから、景吾様はさらにご立派になられました」

    執事はもう一度、景吾に深々と頭を下げた。

 

 

    しかし。

    現実はそう、上手くいかないもので。 

 

 

    「坊ちゃま、タオルはもっと絞りませんと、様の額がずぶぬれになってしまいます」

    「そ、そうか」

    「坊ちゃま、鍋が黒コゲになっておりますぞ・・・水を入れませんとお米はお粥になりません」

    「そ、そうなのか」

    「誰か医者を!坊ちゃまがナイフで手を切ってしまわれた!!」

    「・・・血まみれのりんごになっちまったか」

    「後は我々にお任せくださいませ、坊ちゃまは様のお傍に」

    「あ・・・ああ」

 

    

    体よく追い払われるようにして戻ってきたが眠る部屋で。  

    包帯を巻かれた左手を持て余して。

    焦げたお粥と色の変わりきった林檎を眺めながら。

    景吾はのベッドサイドで一人ため息をつく。

    「結局、俺様の力だけじゃ何もしてやれねぇのか―――」 

 

    のまだ熱い額にそっと右手を翳して。

    景吾は小さな声で、そっと呟いた。

 

    「ったく、何でこんな熱出してんのに俺を待ってたりしたんだ」

    ―――本当は、毎日部活が終わるまで待っててくれてる事。

        嬉しくて仕方がないのに。

    「身体強くもねぇのに無理すんな、バーカ」

    ―――本当は心配で心配で、やるせない程なのに。

    「仕方のねぇネコだ」

    ―――いや、仕方がねぇのは俺の方か。

       

    不器用で、役立たずで。

    こんな時に優しい言葉さえ、掛けてやれない。

    満足に看病さえ、してやれない。

    そんな自分に、腹が立って仕方がない。

 

    「『あとえもん』が聞いて呆れるぜ」

      

    そう自嘲気味に笑った瞬間。

    景吾は右手に熱い指先を感じて。

    それから何時間ぶりかの愛しいソプラノを聴いた。

 

    「冷たくて気持ちいい―――景吾、ずっと居てくれたの?」

 

    「ああ、まぁな」

    景吾はお粥と林檎が載ったトレイをから見えないようにそっと隠して。

    熱いの指先を、額に充てていた手ですっぽり包み込むと。

    先刻よりは苦しそうな表情が取れたに、小さなため息をついた。

    「少しは楽になったか?」

    「うん。景吾のおかげね」

 

    「俺様の・・・?」

    ―――何も、してやれていないのに?

 

    景吾が驚いたようにを見つめると。

    は嬉しそうに景吾を見上げて応える。

 

    「だって、ずっと傍に居てくれたでしょ?

     忙しいのに、部活で疲れてるのに。

     困らせてごめんね?

 

     だけど。

     景吾が傍に居てくれて。

     すごく、嬉しい―――」

   

    思わず、笑顔がこぼれてしまいそうで。

    思わず左手で緩みそうな口許を隠すと。

    その口許からは、いつもの憎まれ口ではなくて。

    素直な想いが、ぽろぽろと零れた。

 

    「ああ、俺様が好きでやった事だ。

     が俺様の部活が終わるまで待ってんのと同じ事だろ」

 

    が必要としているのは。

    『あとえもん』ではなくて。

    跡部景吾が傍に居る事―――自分そのものだったことが嬉しくて。

 

    「景吾、その包帯―――怪我したの?」

    「ああ、大した怪我じゃねぇ」

    「駄目だよ、テニスする方の手じゃなくても大切にしないと」

    「それを言うならも自分の身体をもっと大切にしろ。

     自分が怪我するより、心配で身が持たねぇ」

 

    起き上がって景吾の手を掴もうとしたを、抱き留めて。 

    景吾はに気づかれないように、そっと小さな笑みを零す。

 

    自分の身体よりも、大切な人を心配してしまう事。  

    心から必要とし、必要とされる事。    

    ドラえもんの道具では手に入れられない、大切な想い。

    この感情の名前を愛と呼ぶのだろうと、景吾はのぬくもりの中おぼろげに考える。

 

    ふと羽根で包む様にを優しく抱いた胸の中から。

    小さな囁きが聴こえて。

    景吾がを見下ろすと、は熱の残る頬のまま嬉しそうに笑っていた。

 

    「小さい頃、21世紀になったらきっとドラえもんに逢えるんだと思ってた。

     ドラえもんにね、どうしても叶えて欲しかった事があったの」

 

    ―――勉強とか、スポーツとかそういうのは自分で頑張れば何とかなるじゃない?

        だけど、神様やドラえもんに頼まないと叶わないかもしれない事。

        20世紀のあたしが、ずっと願ってた事があるの。

 

 

    『素敵な素敵な、21世紀の恋人に巡り合えますように』

 

 

    「ドラえもんを作る科学力は、21世紀に間に合わなかったけれど。

     あたしの願い、ちゃんと景吾が叶えてくれたね」

 

    胸の奥で熱い想いが弾けて。

    景吾は言葉の代わりに、優しい口付けをの唇に届けた。                

              

    「ああ、の望みなら。

     俺様が何だって叶えてやる」

 

    抱いたの身体をそっとベッドに横たわらせて。

    景吾はベッドサイドに座り直すと。

    繋いだ手を離さないまま、優しい瞳を向けてに続けた。

 

    「今はもう少し休め。俺様はずっと、ここに居るから。

     腹が減ったとか、何か飲みてぇとか、何でも俺様に言え」

    「ねぇ、景吾」

    「どうした?」

    「ちょっとだけ、寒い―――ブランケットか何か・・・」

    「仕方ねぇな」

    

    が言い終わらないうちに、景吾はすっと立ち上がって。

    ブランケットを取りに行く代わりに、のベッドにしなやかな身を滑らせる。

 

    にしてやれる事を指折り数えたとしても、まだ片手にさえ足りないけれど。

    これなら、叶えてやれる。

    どんなブランケットよりも暖めてやれる。

 

    「景吾・・・?」

    「言っただろ?の望みは、いつだって俺様が叶えてやる」

    「―――風邪、移っちゃうよ?」

    「俺様はそんなヤワじゃねぇよ」

    

    の小さな身体を包み込むように抱き締めて。

    景吾は優しくの前髪を梳くと、真っ白な額にキスを落とした。     

 

    「何も心配は要らねぇから、安心して眠りな。

     治ったら―――俺様を心配させた罰だ、息つく間もねぇ程愛してやるから。

     覚悟しておけよ?」    

    「・・・楽しみに、しとく」    

    

    あとえもんは、氷帝のタブーにしてやるが。

    『21世紀の恋人』ってのは悪くねぇ。

    、お前の願いは。

    何時だって俺が叶えてやるよ―――

 

    ゆっくりと眠りの淵に堕ちていくに、そっとおやすみのキスを送りながら。

    景吾は胸の中の恋人を、何時までも見つめていた。

 

 

    

    「あとえもん、最近楽しそうだな」

    昼休みに中庭でと景吾を見つけた亮が。

    隣を歩く侑士に、少し羨ましそうに呟いた。

    「なぁ宍戸、『あとえもん』の由来―――あの歌詞のほかにもうひとつあるねんけど知っとるか?」

    「さぁ?」

    侑士は窓辺を吹き抜ける風に揺れる髪を掻き揚げて、中庭の二人にレンズの奥の瞳を細めると。

    侑士を見つけて手を振るに笑顔を返し、睨み付ける景吾に苦笑した。

   

    「ドラえもんにも、大好きなネコがおるやろ。

     屋根の上でようデートしとる、めっちゃ好きでしゃぁない位のネコ。

     ちょうどあの、跡部の可愛えネコみたいに、な?」

 

    「フン、激ダサだな。レギュラー落ちしねぇように気をつけることだ」

    が剥いた林檎を嬉しそうに口に運ぶ景吾に、憎まれ口を叩きながら。

    亮はふっと優しい笑顔を浮かべて。

    2匹のネコのシルエットを人目から隠すように、中庭のカーテンをそっと閉めた。

 

                                   

 

 

         2005.1.26

           written by ラム

 

                                                 茜さまに捧げますv「60000」hitsキリリク。
                                                 リクエストは「言葉は冷たいけれど優しい景吾さん」
                                                 あれ?言葉が冷たくない・・・っていうか、
                                                 単に口の悪い景吾さんになってしまっているでしょうか?(ドキドキ)
                                                 優しい景吾さん、という事で看病させてみたんですが。
                                                 やっぱりハニラボの景吾さんはどうしても天然になるようです。
                                                 お粥や林檎を失敗したのは、勿論やった事がなかったからですよ!
                                                 決して家庭科の授業を樺地に任せてサボってるからじゃないと想います、多分。
                                                 茜さん、いつも遊んでくださってありがとうございますv
                                                 こんな景吾さんでよかったら、もらってやって下さいませv
                                                 今年も是非、オフで景吾さんや周助さんトークしましょうね!!!


ラムさんからキリリクでいただいた景吾さんのドリームでしたvv
「あとえもん」に爆笑してしまいました!!
そして景吾さんが看病をしてくれるんだけど、不器用なところがまた可愛いですvv
「あんあん」って・・・・確かに言ってますもんね!!
ドラえもん・・・いや、あとえもんがほしいですv
完璧な景吾もかっこいいですが、不器用さがあると、またそこが可愛いですよねーv
ラムさんの景吾さんは最高です!!

本当にありがとうございましたv
今年もまた遊んでやってください!!